備忘録

ブログタイトルの数字はアバスチン治療の回数

肝生検(2015)

2年近く前の話。

そしてこれ↓↓を打っていたのは2015年7月の話


(2015/7)
肝生検、もう2ヶ月以上も前のことなんで曖昧にしか覚えてないけど一応記録。


2015年5月某日

大学を休み、朝から病院へ。
母だけではなくなぜか父も付いてき(てくれ)た。

この日は朝から、というか前夜から、
「途中で麻酔切れて痛み感じたらどうしよう」
「安静の時トイレ行きたなったらどうしよう」
「大量出血したらどうしよう」
どうしようのオンパレード
最終的には全て杞憂に終わって良かった。

9時に病院に着いて手続きをして、
看護師さんの案内で6階の4人部屋の病室へ。
すぐに病棟の案内をしてもらい
その際に身長と体重を測定。
しばらくして担当の若い看護師さんがいらっしゃって、
血圧測定,検温,採血して、検査着を渡されて着替えた。

でもその看護師さん
検査着を間違えて持ってきはったみたいで
後で違う看護師さんに浴衣型タイプの検査着を持って来ていただいた。
ワンピースにしては短すぎるよなと思っていた笑

そこから昼過ぎまでひたすら暇で、
ベッドに寝転んで動画を見たり
スクフェスシャンシャンしたりごろごろしていたら
担当してくださる消化器内科の先生が様子を見にいらっしゃった。
飛び起きた。恥ずかしかった。
自室のようにくつろいでた。
頑張りましょうと言いに来てくださって泣きそうでした……(T . T)

13時くらいに看護師さんが呼びに来はって、病室の前にストレッチャーが。人生初ストレッチャー。
ストレッチャー(何回言うねん)に寝転んで、血圧と体温を測り、そして肩に筋肉注射。これも初めてで、想像以上に痛かった。この時点でまだ病室の前。人が普通に通ってる中、思わず痛い゛〜〜って叫んでしまった。
そしてストレッチャーに乗ったまま6階から2階の診察室まで移動。先生や看護師さんが5、6人いたような。多!って思った記憶。


最初に点滴(失敗されて左手の甲に針刺した)、人差し指に酸素濃度計を付け、両腕は万歳の状態で
検査着を開いて右の脇腹あたりに消毒液を塗って、組織を取る部分だけが開いているシートを被された。(説明の仕方がクソ)

何回か呼吸止める練習をしてから、麻酔。
はじめ、効きが弱かったみたいで何回か追加。部屋が暗くなり、先生の息止めてねのアナウンスのあと、肝臓に針ブスッと。何回か刺されて、段々痛くなってきて、多分追加で麻酔打ったりしてもらってたけど、息止めてから針が通る瞬間がほんまに痛くて、涙が出てきて、看護師さんと呼吸器内科の先生が手握ってくれて、余計涙出た笑 先生も謝りながら作業してくださっていた笑

無事に終わり病室へ。
夕方に親が帰ったあと爆睡しててんけど、パッと目が覚めて、その時何故か朝だと勘違いして、朝ごはんまだかな〜看護師さん来やんのかな〜と思いながらしばらくぼーっとしてたけど妙に周りが静かやからなんでやろと思って携帯を見たら夜の12時40分。そりゃ朝ごはんまだやわ!と突っ込んでまた寝た。1時間ごとに目が覚めた。

朝が来て、ご飯を食べて、退院手続きをして、2限の途中から学校へ。さすがに疲れていた。4限が終わり、、、どうしたんやろ、さすがに帰ったんかな、でも練習して帰った気がする。覚えてないしどうでもいいわ😈

 

確かじゃないこといっぱい書いてます。そんでもって日本語が不自由すぎました。

余談。
病室で待機している時に、プロコフィエフのピアノ協奏曲第3番3楽章(キーシン)を聴きまくり、動画(ピティナ特級ファイナルの山﨑亮汰さん)も見まくっていたので、完全に先生と肝生検の曲(?)になってしまいました。